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虐待サバイバーななのにっき2

よくわからないけどげんき。

お米はこびやさんになった。

 

家から駅はタクシー、そして電車で義実家へ。また駅から実家までまタクシーのとき、まさくんが運転手さんがしゃべるタイプだと判断したみたいで最近客足もどってますか?と雑談をはじめ、日中はわりと前からもどってますが、よるお酒のまれるお客さんがまだ戻りきらないかんじで7割くらいですね、と運転手さん。ご年配の方がやっぱり軽症ですまないかもとお酒を外でのまれることが減ったみたいですね、と。若い方はね、ぜんぜん飲んでつぶれて呼ばれることはあります、気にしてませんし軽症ですし。まさくんはこういった話をするのがじょうずだなぁとおもいました。なな、世間話ってにがてすぎて、今日はよく晴れてますねぇなんていわれると、いえ昨日ほどではないですよね、なんて返してしまったり。いろいろ、まさくんは、知りたいことをむこうがはなしたいように引き出すのがうまいなぁと。昔は新聞記者にあこがれて、でも薄給でいそがしいらしいとわかってあきらめたといってたことおもいだしました。まさくん絶対教えるのもうまいし、家庭教師とかバイトすればよかったのに、大学時代はほとんどしなかったんだよね。まあ、それはななと遠距離しててそんなひまないくらいだったからなんだけど。。

 

義実家では、いつものようにわいわいとお母さんが歓迎してくださり、きゃべつを切るだけなのに横でとんてきができあがる方がはやいという、謎な状況なまま、ななはごめんなさいほんとぶきようで!!!と焦りながら、キッチンで外の土を触ったのを洗うお父さんを、ええぇここで洗うの、、とすこし余計なお世話のことをおもったり、しかもすごく近いから不器用なのがばれる!!!!ってかんじでひやひやしたり。お庭に春頃みんなで種を撒いた千日紅とひなげしをみて、ひなげしはほとんどだめになってしまったけど、千日紅はかわいいお花をさかせていて、とてもうれしくて、あとお庭によくあそびにきてくれるかえるさんの定位置を、お父さんに、ここ、それと、ここ、あとここにも。と、砂が凹んでいる跡を案内してもらって、へぇぇぇ!!!!ってはしゃいだり。

 

その後、ごはんをたべてすこしやすんだらすぐにおにいさんたちのお家へ。公園のすぐそばで、とてもおおきなお家でびっくりだった!甥っ子くんとあそんだり(あんまりなな上手じゃないんだけど…)お家ツアーかいさいー!ってお母さんがはしゃぎだして、お兄さんが案内してくださって、寝室にかけてある謎のはしごをみつけると、ななは、え、まさか、えええひみつき、、、といいかけたとたんに、まさくんいうがはやいか「登っていい?」と手をかける!その状況にみんな大爆笑で、もう、あんたね、まさや!とお母さん。お兄さんは、いやさすがにまってそうじゃないから、ちょっと貸して。というと、はしごはちゃんとひっかける部分があり、ななめにしてのぼることができるのです。そして上へのぼったまさくんから、みんなが感想を待ちました。すると、「兄さんの釣り道具しかないじゃん。」と、つまらないそのままの発言をして、やっぱりかぁ!とお母さん。ななも苦笑い。お兄さんはいまでこそそんなに釣りをしませんが、大学の研究もお魚の解剖とかしてて、もう釣り大好きで生きてきた方です。ななが結婚したばかりのころクリスマスあそびにいくと、ひとつやふたつはお兄さんが朝(というか、夜)に釣った魚を捌いたものが、他の買ってきたものの中にならんでいて、ひときわ新鮮でおいしかったり、お兄さんがいつかおおきな鱈を釣りたいと語ってくださったり、アニサキスにやられた苦労話をきいたりしたものです。ぶり、かつお、はまち?鯛、とか、まだ半分いきてぱくぱくしてるのをみせてもらって、その魚の青さと銀色のぴかぴかに、ずいぶんびっくりしたものです。ほんとにあおーい!と叫んで、クールなお兄さんから、うん、青いよ、と返ってきたり(笑)。なつかしいな。そのあと仕事がいそがしくてコロナの対応や親御さんの対応の苦労話をきいたりして、そのころお兄さんの本格的な婚活がスタートしていたらしく、いまの義姉ちゃんと出会って結婚。義姉ちゃんはそのころ病院付属の病児保育施設で働いていて、お兄さんは中学の先生で(ちなみに理科)、ともに料理好き、子供好き。婚活も料理教室的なかんじだったらしい。結婚したら子供は迷わず持ちたいとふたりとも考えていたようで、不妊治療をして出産。義姉ちゃんはお兄さんよりさらに年上だから、出産のときだいじょうぶかなぁーーーってものすごく心配して、うまれる前に入院したとき、コロナで面会だれもこられないから暇だという義姉ちゃんとらぃんしまくりました。そして2日陣痛室?みたいなところで陣痛にたえて、やっと産まれ、その子が甥っ子くん。初産でそうとう苦しかったみたいで、しばらくは体力消耗しきってとてもつらかったといってました。でもしあわせそうなおふたりと甥っ子くんのころころかわる表情からは、ふたりに愛されて毎日たのしく愛情たっぷりに育っていることがななでもわかるくらいで、すこし癒やされました。

 

ちなみにここぞと自分の話をすると、ななはちいさいころの写真はそもそもそんなに残ってないんだけど、ある写真のどれもが思春期にはいる手前くらいまでは、なんかうつろな目をしてて、笑顔のものが1枚もないです。そもそもどこをみてるのかわからないような、なにか後ろの怖いものをきにしているような、なんか、こどもなんてそんなもんか、とおもっていたのですが、甥っ子くんをみてて、やっぱりななは表情がとぼしい子供だったんだなぁとすごくよくわかりました。甥っ子くんのまるいおめめが、きょろきょろ、ときに怪しんだ顔をしたとおもうと、おもちゃをわざと落として拾えといわんばかりの偉そうな顔をしたり、しってて放っておくと泣き出しそうになったり、ぷわぁー!とすこし声をあげたりします。ママに抱っこされると満面の笑顔。ななもだっこさせてもらって、次に義姉ちゃんに抱っこしてもらってあやす役をなながしてると、しばらくは、だれだこいつ、みたいな顔で、こちらの目をじ、、と見て、そらすと追ってきます。それをそらさずにいると、じぃ…っとまたかんさつしてきます。そこで、ななは自分の表情を、にこ!と笑顔にしてみました。あれ、反応がない。。すこしがっかりしたけど、おぼえてないかなぁ、甥っ子くん、ななだよ!と手を触りながらさらににこっとすると、今度はなんととつぜん満面の笑みに!その調子でななは、ぺったんこー!とかわけわからん擬態語つかって手をあてたり、ゆびをあわせたり、義姉ちゃんに、よかったね、ななちゃんだよー!よかったね、お姉さんにあえて!うれしいねぇ!とあやされてさらにごきげんになって、てをたたくような仕草をみせはじめたので、みんなでてをたたく真似をしたりしました。なな、意外になれてきたかと!よかった!

 

きゃべつきれなくても甥っ子くんとは意思疎通ができた!うれしい!

 

新居お祝いの新米をどさどさとおいてかえりました。いやぁたいへんだった、実際帰り道は途中からつらくて、香水きつすぎな女の人をさけてわざとまさくんとはなれた席にすわってまさくんが気遣ってくれたり、うるさい高校生くらいの子が乗ってきたのでイヤホンをして本をよみはじめて、なんとかなりました。香水きつすぎな人ほんとむりだけど、結局こっちが避けるしかないからね。。なにせ柔軟剤とか香料のアレルギーなんです、しかも秋のアレルギーもあわさって、目がかゆいのでこすってしまって今朝はコンタクトはめられなくてめがねになってしまいました。いたすぎて右目がはめれなかったようぅ。。

 

まぁひとごみはつかれたけど家族にはいやされたかな。なにより帰り際お母さんが、ななちゃん、だいじょうぶ?と、ハグして肩をなでてくださって、あやうく泣きそうになりました。お母さんにもはなしてるんです。でもななは、ここでないたら帰れなくなる、、とおもい、ひたすらがまんしてとぼとぼ帰りは歩きました。

 

つらいとき、なんとかはけましあってこられた家族は、とてもきれいで、うつくしく、たのしい。あたたかい、あかるい。

 

ななのほんとうの実家ではえられなかった、あきらめてきた数々の希望が、ここではかなえられたりする。

 

ありがとうございます。

実の親にも感謝できない、なさけない人間です。でもこんなにみんなやさしい。。

 

 

ななも、父親がなにも悪意だけを持ってななに接していたなんてまったくおもってないんです。。中卒でトラック運転手してて、ななが小5のとき起業してなんとか軌道に乗って、食べてこられたのも、父親のまぎれもない、真摯な努力の賜物だとおもっています。おじいちゃんがどうやらギャンブラーで、働かなくて苦労してきたので、働くことしかみえてなかったんだとおもいます。それがすべてだっただけ。不器用なんです、それだけ。それに、起業してうまくいって5年後残る企業なんてものすごーくすくなくて、なのにいまもほそぼそとだけど仕事やめたらぼけるから、と一番お世話になった取り引き先とその紹介のところだけを、いまはしてるって。しごとのとき、ななお前、英語読んでくれ!ってさしだされた紙に、TOKAIとだけかいてあったのを、とーかい、だって、というと、そうか、と父親は去っていきました。ななは、それはローマ字だよ、お父さん、どういうこと…?ってなぞにおもったものです。あとで実は中卒で苦労して一時は静岡県の浜松に住んでたことがあるってことをしりましたが、それ以上のことはななもよくしりません。きっとおじいちゃん絡みでろくなことではないんでしょう。いわゆる種違いのお兄さんはいるし、おばあちゃんはおばあちゃんでなぞおおい。そしてそのおじさんをのぞく、もうひとりのおじさん(ななは父親が兄貴!とよぶので、あにきのおじさん!ってよんでました)が一緒に住むことになり、突然いなくなったかとおもうと車をべこべこに凹ませて帰ってきたり、森へつれていかれて、こわくなって泣き出したら急に謝られてコンビニでなんでもかっていいよといわれたりして、その2週間後、川で入水自殺。うちのかぞくねー、ほんと、なぞ。血縁者に自殺者がいたりすると、精神科かかると本人も統合失調症とか疑われやすいんだって。だからななもそれとなくおじさんのことはけっこうしつこくきかれた。統合失調症か精神状態の悪さからくる一時的な統合失調的な症状なのかの判別に時間がかかった、といわれたりした。でもななにはおじさんがなんで死を選んだのか、ほとんどわからなかった。亡くなる前に普通じゃない行動をとったはなしなんて、なんのあてにもならないだろう。そんなのあたりまえだもん。だからてがかりとかもなかったんだよね。。親にもいろいろ隠されてて。

 

おこめはこびやさん、だいせいこうしてよかったなぁ。

 

よけいなはなしだけど、お義父さんがまた、精米してある米?だったら多くない?3ヶ月で食べきらないと、なんてよけいな(失礼すぎ)こといってきて、ほんとなんでここでそれいう?って思ったけど。重いダンボール運んできて電車では痛い目でみられながらストレスフルな満員の中でがんばってようやく手元にはこべたのに。ひどーい。その場にいたみんながフォローしてくれた。。とくにお母さんは帰り際までフォローしてくださった。。ありがとうござます。。義妹ちゃんがその場にいたら、ちょっとさーお父さんそれは…ってなっちゃったかも。。さすがにないとはおもうけど。前そういうことあってお父さんと義妹ちゃんで喧嘩に発展してクリスマス会ぎこちなくなって。ほんと、お義父さんもすこしなぞ。お義母さんもかなりそれで苦労してきてて、友達の大半を失ったとよくぼやいてます。まさくんがななの精神的なぶぶんに共感して、まさくん自身がじつはとても繊細なのも、お義父さんの影響がおおきいみたい。お母さんは、大学時代の友達はお父さんに話すと、そんな付き合いはやめろ、といわれてしまって、友達からも逆になんであんなのと付き合ってるの?みたいになって結局だめになって、残ってるのが高校の時カナダにホームステイさせてもらってた家族、あとはがきだけのやりとりの人、以上!あとは大人になってからの習い事の知りあいしかいない、とときおりもらします。なんかよくわからないね。。